2011年10月18日火曜日

万有根源のチャクラ

 
円形をベースにその中心から放射状もしくは同心円状に展開するチャクラ・デザイン。それはインドにおいてチャクラの思想と結びついて特異的に発達した。けれどそれは決してインドだけの専売特許ではなかった。

幾何学的な華輪や日輪のデザインは世界中で最も愛されているデザインのひとつだろう。何故ならそれは、私達がその生を営む大自然の中にあまねく存在しているからだ。それは第一に、美しく咲き乱れ人の心を潤す花として、人類の感受性の進化と共にその姿を顕在化させていった。中心から放射状に展開するその求心的なデザインは、単なる色彩的美しさを超えて、私達の心を魅了してきた。

コスモスの花

 しかし、チャクラのデザインは花だけに限られたものではなかった。柑橘類を筆頭に多くの果実が中心から放射状に成長し、『輪切り』にされた時には美しいチャクラ・デザインの形を現す。スイカやカボチャなどはその外見さえもチャクラ・デザインそのものだ。さらに丸太の年輪やきのこの傘、クラゲやイソギンチャク、ヒトデや珊瑚など多くの海洋生物、そして最も原初的な単細胞生物さえも、その多くが中心から放射状に展開するチャクラ・デザインを持っている。生物だけではなくある種の鉱物や雪の結晶もまた、見事なチャクラ・デザインをしているのだ。

クモノスケイソウ

中心から始まって放射状に展開するという構造デザインは、この世界が持っているひとつの普遍的な摂理ダルマ)と言ってもいい。世界に遍満するこうしたチャクラ・デザインが、長い歴史を通じて私たちの集合的無意識に溶け込んで、深い瞑想時にチャクラのヴィジョンをもたらした可能性も考えられるだろう。中でも六角形とそれに内在する対角線をベースにした雪の結晶は、チャクラ・ヴィジョンそのものと言ってもいいデザインをしている。人体の70%を構成するという水の記憶。そんなものがあるとしたら、あるいはそれが、無意識の領域からチャクラのヴィジョンを生み出すのかも知れなかった。

雪の結晶

そしてチャクラの普遍性は、デザインだけにはとどまらない。

古代インドの世界観において、この地球が須弥山を中心とした『チャクラ・ボディ(車輪体)』として理解されていた事は前に述べた。だが地上の意識を離れて更なる高みから宇宙を俯瞰した時、地球を含む全ての惑星が、自転しつつ太陽を車軸とした同心円上を公転している事に気付くだろう。その太陽系もまた回転しつつ集まって星団を生み出し、それがさらに集まって回転しつつ銀河系を形作っていく。その様な回転する大小のコスミック・チャクラが、数え切れないほど集まって入れ子構造を作り、あたかも壮大な華輪マンダラの様に大宇宙を構成しているのだ。

転回する大宇宙

それは大宇宙(マクロ・コスモス)だけではない。ミクロ・コスモスである原子の実相もまた、核の周りを回る粒子の運動に他ならない。

そして大宇宙とその中に無限に存在するすべての物質原子、その究極の始まりと言われる『ビッグ・バン』に思いをはせれば、正に究極の一点を中心にすべては爆発展開し、転回し始めたのだ。

車輪によって表わされる中心軸を持った回転運動。それはミクロからマクロにいたる、この世界に普遍的な摂理(ダルマ)だった。あたかもコスミック・エナジーによって活性化されたチャクラが体内で開くように、神としか呼びようのない大宇宙の摂理によって、あらゆる次元のコスミック・チャクラは展開し、回り続けている。

そんなコスミック・チャクラの一隅に、遥か40億年の昔、奇跡の様に『いのち』が誕生した。太陽の周りを公転し、自らも自転する地球の上に生まれた生命は、その回転するリズムと共に進化の歴史を歩んできた。コスミック・チャクラの申し子であるはずの生物は、しかし目に見える運動器官としては、ついに車輪の回転メカニズムを獲得できなかった。それが人類によって初めて実現される事によって、生命の歴史はまったく新しい次元へと突入した。

車輪という体外の運動器官を獲得した人類は、ホモ・サピエンスとして生物進化のステージを登りつめる。そして、この車輪のメカニズムこそが、文明がその運動を展開する、根本原理となった。それは遥か昔、古代文明の時代から現代に至るまで、一貫して『最重要基幹技術』であり続けたのだ。

そもそもは、それは重いものを効率よく移動するための『丸太のコロ』だったという。それがやがて円盤状の車輪へと進化し、およそ4000年前のある時、あのインド・アーリア人の祖先によってスポーク式高性能車輪が開発された。

それは古代オリエントにおいて大文明を生み出す原動力となり、ギリシャ・ローマをはじめユーラシア全土の文明へと受け継がれていった。それがインドにおいて壮大なるチャクラ思想を生み出した歴史についてはすでに述べた。インドだけではなくユーラシア全ての文明圏で、車輪をつけたチャリオットは、神聖な武王の権威を象徴するモチーフとして、彫刻や絵画における主要なテーマとなった。

ラタ戦車は覇王の象徴

勿論それは単に戦いのためだけの技術ではなかった。物資や人員の輸送手段として、風車や水車として、あるいは滑車として、歯車として、ロクロとして、糸車として、それは人類社会の運動を根底で支え、日々の生活に豊かさをもたらしていった。

文明の動力は歯車によって伝達される

その重要性は産業革命を経て物質科学文明が高度に花開いた現代に至っても変わらず、一貫して基幹システムとして社会の運動を支え続けている。

およそ私達の生活の中で、回転する車輪のメカニズムによらない運動機械が存在するだろうか。自転車、バイク、自動車、電車はもちろん、空を飛ぶ飛行機でさえ、車輪がなければ動く事さえできない。さらに身近な扇風機や洗濯機に始まって風車から大型タンカーに至るまで、車輪の応用から生まれたプロペラによって働くマシンは数えきれない。

それは内部のメカニズムにおいても変わらない。上述のあらゆるマシンを含め、アナログ時計から始まって大規模な工場に至るまで、全ての運動メカニズムは、車輪から発展したエンジン・モーターと歯車の回転によって命を与えられている。それが水力であれ火力であれ、原子力であれ風力であれ、全ての発電装置は車輪から派生したタービンの回転によって電気を生み出している。現代文明を支える化石燃料もまた、地下を掘り進む掘削ドリルの回転する力によって地上にもたらされるのだ。

回転する車輪のメカニズム。正にそれこそが運動力の根源として文明の全てを支えている。この事実に気付いた時、私はひとり言葉を失っていた。

そして、車輪のメカニズムが支えているのはそれだけではなかったのだ。

生物は、目に見える運動器官としては回転する車輪のメカニズムをついに獲得できなかった、と私は書いた。確かに、広く生物界を見渡して見ても、車輪によって運動したり移動したりする生物は存在しないように見える。

だが、ここに驚くべき事実があった。

ネットで車輪の歴史について調べていた私は、偶然ヒットしたページを読み進めていく内に鳥肌が立つような戦慄に襲われていた。

私達の身体はおよそ60兆の細胞によって構成されている。最も原初的な単細胞生物から私達の体細胞に至るまで、この細胞の活動はATP(アデノシン三燐酸)と呼ばれるエネルギーによってまかなわれている。そしてこのATPが代謝されるシステム。それこそが正に回転する車輪のメカニズム(実際の姿はモーターに近い)だと言うのだ。それは大きさにして百万分の一ミリというナノ分子の車輪。これが回転してATPを合成代謝する事によって、バクテリアから人に至る全ての生命活動は維持されているのだ。

論文に掲載されたATPモーター概念図

私たちのすべてが、目に見えない極微の『車輪』によって生かされていた!


回転するATPモーター

それは、生命40億年の歴史を通じて、一度たりとも止まった事はない命の車輪。今この瞬間も私達の身体の中では、無限とも言えるナノ・サイズの車輪がそのリズムを刻み続けている。大宇宙の根本原理である車輪の回転運動。それは文明の運動を支えてきただけではなく、地球生命そのものをも生かし続けてきた文字通りの『展開力』だったのだ。

面白いことに、真核生物においてATP代謝の舞台になるのは呼吸(プラーナ)を司るミトコンドリアで、私たち人類を含めた有性生殖をする高等生物の場合、ミトコンドリアは母親の卵子に由来すると言う。それはまるで、車輪であり女性原理であるプラクリティ=シャクティが、輪廻する現象世界すべての展開力であるというサーンキャ哲学の『仮説』を、見事に証明しているかの様に思えた。

ここで再び、私は思い起さずにはいられない。世界の維持を司るヴィシュヌ神、それは三界を支え『全てに浸透し展開する存在(All Pervading One)』だった。

チャクラというコンセプト、その中心軸をもった回転運動や構造デザイン。それは天にも地にも宇宙存在のあらゆる次元に浸透し、その運動を維持し推進していた。

あたかもクリシュナが、アルジュナ王子が乗る戦車の御者の姿をとりながら、実は神そのものであった様に、様々な形で神々を象徴するチャクラこそが、実は世界を展開させる神そのものの顕現ではないのか。ダルマを象徴したチャクラこそが、実は摂理そのものの現われではないのか。

そして『ダルマ』という言葉が持つ本来の意味、それは『世界を支え保つもの』だった。ならば『ダルマ・チャクラ』という言葉の真の意味は・・・

有史以来一貫してチャクラを神威の象徴として奉じ続けたインド人の感性に、私は改めて、深い感銘を覚えずにはいられなかった。

そんな車輪という実存が、人類の深層意識に深く刻印した『神威』の現われではないかと思える事実が存在する。

ヴァチカンにあるカトリックの総本山サンピエトロ大聖堂は、メッカと並び称されるキリスト教最大の聖地だが、大聖堂前に広がり、大きなミサの時には信者で埋め尽くされるサンピエトロ広場が、やや変形した楕円形だが美しい車輪の形をしているのだ。その中央にはこれも車軸=スタンバを思わせるオベリスクという柱が屹立し、ヴァチカンがアクシス・ムンディであることを誇示している。これを設計したベルニーニにはたして車輪のイメージがあったかは不明だが、それは見事に、中心から神の力が放射状に展開する『チャクラ』を表していた。

サンピエトロ広場

不思議な事に、もうひとつの世界宗教であるイスラム教のメッカにおいても、同じような現象が確認できる。神域であるマスジット・ハラームの中央に建てられたカーバ神殿自体は立方体だが、それを中心に数十万の信者が集団で礼拝する姿は、見事に巨大なチャクラを描き出しているのだ。そして着座の礼拝が終わると、人々は一斉に神殿の周りを巡回し始める。その様子を空から見下ろせば、それはあたかもプラクリティがプルシャの周りを回っているかの様に、見えるのだった。

メッカの巡礼



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