2011年10月18日火曜日

万有根源のチャクラ

 
円形をベースにその中心から放射状もしくは同心円状に展開するチャクラ・デザイン。それはインドにおいてチャクラの思想と結びついて特異的に発達した。けれどそれは決してインドだけの専売特許ではなかった。

幾何学的な華輪や日輪のデザインは世界中で最も愛されているデザインのひとつだろう。何故ならそれは、私達がその生を営む大自然の中にあまねく存在しているからだ。それは第一に、美しく咲き乱れ人の心を潤す花として、人類の感受性の進化と共にその姿を顕在化させていった。中心から放射状に展開するその求心的なデザインは、単なる色彩的美しさを超えて、私達の心を魅了してきた。

コスモスの花

 しかし、チャクラのデザインは花だけに限られたものではなかった。柑橘類を筆頭に多くの果実が中心から放射状に成長し、『輪切り』にされた時には美しいチャクラ・デザインの形を現す。スイカやカボチャなどはその外見さえもチャクラ・デザインそのものだ。さらに丸太の年輪やきのこの傘、クラゲやイソギンチャク、ヒトデや珊瑚など多くの海洋生物、そして最も原初的な単細胞生物さえも、その多くが中心から放射状に展開するチャクラ・デザインを持っている。生物だけではなくある種の鉱物や雪の結晶もまた、見事なチャクラ・デザインをしているのだ。

クモノスケイソウ

中心から始まって放射状に展開するという構造デザインは、この世界が持っているひとつの普遍的な摂理ダルマ)と言ってもいい。世界に遍満するこうしたチャクラ・デザインが、長い歴史を通じて私たちの集合的無意識に溶け込んで、深い瞑想時にチャクラのヴィジョンをもたらした可能性も考えられるだろう。中でも六角形とそれに内在する対角線をベースにした雪の結晶は、チャクラ・ヴィジョンそのものと言ってもいいデザインをしている。人体の70%を構成するという水の記憶。そんなものがあるとしたら、あるいはそれが、無意識の領域からチャクラのヴィジョンを生み出すのかも知れなかった。

雪の結晶

そしてチャクラの普遍性は、デザインだけにはとどまらない。

古代インドの世界観において、この地球が須弥山を中心とした『チャクラ・ボディ(車輪体)』として理解されていた事は前に述べた。だが地上の意識を離れて更なる高みから宇宙を俯瞰した時、地球を含む全ての惑星が、自転しつつ太陽を車軸とした同心円上を公転している事に気付くだろう。その太陽系もまた回転しつつ集まって星団を生み出し、それがさらに集まって回転しつつ銀河系を形作っていく。その様な回転する大小のコスミック・チャクラが、数え切れないほど集まって入れ子構造を作り、あたかも壮大な華輪マンダラの様に大宇宙を構成しているのだ。

転回する大宇宙

それは大宇宙(マクロ・コスモス)だけではない。ミクロ・コスモスである原子の実相もまた、核の周りを回る粒子の運動に他ならない。

そして大宇宙とその中に無限に存在するすべての物質原子、その究極の始まりと言われる『ビッグ・バン』に思いをはせれば、正に究極の一点を中心にすべては爆発展開し、転回し始めたのだ。

車輪によって表わされる中心軸を持った回転運動。それはミクロからマクロにいたる、この世界に普遍的な摂理(ダルマ)だった。あたかもコスミック・エナジーによって活性化されたチャクラが体内で開くように、神としか呼びようのない大宇宙の摂理によって、あらゆる次元のコスミック・チャクラは展開し、回り続けている。

そんなコスミック・チャクラの一隅に、遥か40億年の昔、奇跡の様に『いのち』が誕生した。太陽の周りを公転し、自らも自転する地球の上に生まれた生命は、その回転するリズムと共に進化の歴史を歩んできた。コスミック・チャクラの申し子であるはずの生物は、しかし目に見える運動器官としては、ついに車輪の回転メカニズムを獲得できなかった。それが人類によって初めて実現される事によって、生命の歴史はまったく新しい次元へと突入した。

車輪という体外の運動器官を獲得した人類は、ホモ・サピエンスとして生物進化のステージを登りつめる。そして、この車輪のメカニズムこそが、文明がその運動を展開する、根本原理となった。それは遥か昔、古代文明の時代から現代に至るまで、一貫して『最重要基幹技術』であり続けたのだ。

そもそもは、それは重いものを効率よく移動するための『丸太のコロ』だったという。それがやがて円盤状の車輪へと進化し、およそ4000年前のある時、あのインド・アーリア人の祖先によってスポーク式高性能車輪が開発された。

それは古代オリエントにおいて大文明を生み出す原動力となり、ギリシャ・ローマをはじめユーラシア全土の文明へと受け継がれていった。それがインドにおいて壮大なるチャクラ思想を生み出した歴史についてはすでに述べた。インドだけではなくユーラシア全ての文明圏で、車輪をつけたチャリオットは、神聖な武王の権威を象徴するモチーフとして、彫刻や絵画における主要なテーマとなった。

ラタ戦車は覇王の象徴

勿論それは単に戦いのためだけの技術ではなかった。物資や人員の輸送手段として、風車や水車として、あるいは滑車として、歯車として、ロクロとして、糸車として、それは人類社会の運動を根底で支え、日々の生活に豊かさをもたらしていった。

文明の動力は歯車によって伝達される

その重要性は産業革命を経て物質科学文明が高度に花開いた現代に至っても変わらず、一貫して基幹システムとして社会の運動を支え続けている。

およそ私達の生活の中で、回転する車輪のメカニズムによらない運動機械が存在するだろうか。自転車、バイク、自動車、電車はもちろん、空を飛ぶ飛行機でさえ、車輪がなければ動く事さえできない。さらに身近な扇風機や洗濯機に始まって風車から大型タンカーに至るまで、車輪の応用から生まれたプロペラによって働くマシンは数えきれない。

それは内部のメカニズムにおいても変わらない。上述のあらゆるマシンを含め、アナログ時計から始まって大規模な工場に至るまで、全ての運動メカニズムは、車輪から発展したエンジン・モーターと歯車の回転によって命を与えられている。それが水力であれ火力であれ、原子力であれ風力であれ、全ての発電装置は車輪から派生したタービンの回転によって電気を生み出している。現代文明を支える化石燃料もまた、地下を掘り進む掘削ドリルの回転する力によって地上にもたらされるのだ。

回転する車輪のメカニズム。正にそれこそが運動力の根源として文明の全てを支えている。この事実に気付いた時、私はひとり言葉を失っていた。

そして、車輪のメカニズムが支えているのはそれだけではなかったのだ。

生物は、目に見える運動器官としては回転する車輪のメカニズムをついに獲得できなかった、と私は書いた。確かに、広く生物界を見渡して見ても、車輪によって運動したり移動したりする生物は存在しないように見える。

だが、ここに驚くべき事実があった。

ネットで車輪の歴史について調べていた私は、偶然ヒットしたページを読み進めていく内に鳥肌が立つような戦慄に襲われていた。

私達の身体はおよそ60兆の細胞によって構成されている。最も原初的な単細胞生物から私達の体細胞に至るまで、この細胞の活動はATP(アデノシン三燐酸)と呼ばれるエネルギーによってまかなわれている。そしてこのATPが代謝されるシステム。それこそが正に回転する車輪のメカニズム(実際の姿はモーターに近い)だと言うのだ。それは大きさにして百万分の一ミリというナノ分子の車輪。これが回転してATPを合成代謝する事によって、バクテリアから人に至る全ての生命活動は維持されているのだ。

論文に掲載されたATPモーター概念図

私たちのすべてが、目に見えない極微の『車輪』によって生かされていた!


回転するATPモーター

それは、生命40億年の歴史を通じて、一度たりとも止まった事はない命の車輪。今この瞬間も私達の身体の中では、無限とも言えるナノ・サイズの車輪がそのリズムを刻み続けている。大宇宙の根本原理である車輪の回転運動。それは文明の運動を支えてきただけではなく、地球生命そのものをも生かし続けてきた文字通りの『展開力』だったのだ。

面白いことに、真核生物においてATP代謝の舞台になるのは呼吸(プラーナ)を司るミトコンドリアで、私たち人類を含めた有性生殖をする高等生物の場合、ミトコンドリアは母親の卵子に由来すると言う。それはまるで、車輪であり女性原理であるプラクリティ=シャクティが、輪廻する現象世界すべての展開力であるというサーンキャ哲学の『仮説』を、見事に証明しているかの様に思えた。

ここで再び、私は思い起さずにはいられない。世界の維持を司るヴィシュヌ神、それは三界を支え『全てに浸透し展開する存在(All Pervading One)』だった。

チャクラというコンセプト、その中心軸をもった回転運動や構造デザイン。それは天にも地にも宇宙存在のあらゆる次元に浸透し、その運動を維持し推進していた。

あたかもクリシュナが、アルジュナ王子が乗る戦車の御者の姿をとりながら、実は神そのものであった様に、様々な形で神々を象徴するチャクラこそが、実は世界を展開させる神そのものの顕現ではないのか。ダルマを象徴したチャクラこそが、実は摂理そのものの現われではないのか。

そして『ダルマ』という言葉が持つ本来の意味、それは『世界を支え保つもの』だった。ならば『ダルマ・チャクラ』という言葉の真の意味は・・・

有史以来一貫してチャクラを神威の象徴として奉じ続けたインド人の感性に、私は改めて、深い感銘を覚えずにはいられなかった。

そんな車輪という実存が、人類の深層意識に深く刻印した『神威』の現われではないかと思える事実が存在する。

ヴァチカンにあるカトリックの総本山サンピエトロ大聖堂は、メッカと並び称されるキリスト教最大の聖地だが、大聖堂前に広がり、大きなミサの時には信者で埋め尽くされるサンピエトロ広場が、やや変形した楕円形だが美しい車輪の形をしているのだ。その中央にはこれも車軸=スタンバを思わせるオベリスクという柱が屹立し、ヴァチカンがアクシス・ムンディであることを誇示している。これを設計したベルニーニにはたして車輪のイメージがあったかは不明だが、それは見事に、中心から神の力が放射状に展開する『チャクラ』を表していた。

サンピエトロ広場

不思議な事に、もうひとつの世界宗教であるイスラム教のメッカにおいても、同じような現象が確認できる。神域であるマスジット・ハラームの中央に建てられたカーバ神殿自体は立方体だが、それを中心に数十万の信者が集団で礼拝する姿は、見事に巨大なチャクラを描き出しているのだ。そして着座の礼拝が終わると、人々は一斉に神殿の周りを巡回し始める。その様子を空から見下ろせば、それはあたかもプラクリティがプルシャの周りを回っているかの様に、見えるのだった。

メッカの巡礼



2011年10月17日月曜日

バーラティア棒術、ダルマ・チャクラ・ドライブ


インド武術において特徴的な棒術の回転技。これまでの取材で、それはインド全土に普及する事が分かっている。マニプル、オリッサ、西ベンガル、ビハール、ウッタル・プラデシュ、マディア・プラデシュ、パンジャブ、ラジャスタン、グジャラート、マハラシュトラ、アンドラ・プラデシュ、ケララ、タミルナードゥの各州では、私自身実際にこの目でその存在を確認している。

マハラシュトラ州のユッドゥ・カラ

特にドラヴィダ文化の優勢な南インドにおいて、その存在感が際立っていたが、上記以外の州でも多くの場合「昔はよくやっていた」という証言が得られており、棒術の回転技はインドの隠れ国民的エクササイズ・パフォーマンスといっても過言ではないだろう。

ただ、それがチャクラ思想と結びついているというはっきりとした証言は、残念ながら現在まで得られていない。私が自分の考えを話すと軽い驚きと共に「なるほど、もっともだ」という反応が返ってくるのだが、彼ら自身の伝承としては残っていないのだ。彼らにとってこの回転技は、あまりにも日常に溶け込んだ当たり前の生活文化であり過ぎて、その意味や起源など遥かな昔に忘却の彼方に霞んでしまったと言うのが実情のようだった。

それは棒術だけではなく、実はチャクラ意識に関しても当てはまる。インド人のほとんどが、チャクラ・デザインを日常ごく当たり前の風景として何の自覚も持たずに我が物としている。それが日輪に由来する事も、ラタ戦車の車輪に由来する事も、蓮の華輪に由来する事も、その中心にある車軸や花托が神や仏を表していたであろう事も、それらが潜在しつつ全てのチャクラ・デザインとその思想を生み出している事も、一般にはほとんど認識されていない。

日本人にとっての箸や畳のように、彼らにとってチャクラとは空気のようにあって当たり前のものであり、それについて今さら考える事さえないのだ。ましてやそれを象徴するに過ぎない回転技については言うまでもないだろう。それがインド全土で普遍的に行われているという事実さえ、多くのインド人は気付いていない。

ただ、プーリーではジャガンナート寺院の例祭ラタ・ヤットラのパレードで、バナーティのデモンストレーションが行われている。それがラタの車輪やクリシュナのスダルシャン・チャクラを象徴してきたのは明らかだろう。

タミルではリングを使った炎の回転技がチャクラ・チュトゥルーと呼ばれ、棒術と共に祭やイベントの定番となっている。実はこのリングの中心には一本の棒がハンドルとして据えられていて、リングを回す時も、実際には棒と同じテクニックで回している事が分かる。最初は単純な一本の棒から、やがてよりリアルにチャクラを体現するリングが生まれたと考えるのが自然だ。回転する炎のリングはナタラージャ神像のモチーフそのものであり、デザインとの類似性から、それはヤントラや吉祥文様ランゴーリ(コーラム)と関連するのも間違いない。

六芒星のチャクラ・チュトゥルー

この吉祥文様の分布は、ケララのワディ・ヴィーシャルなど回転技が発達している南インドの各州と重なり合い、回転技は災いを遠ざけ福をもたらし神を招来する、躍動する三次元の吉祥文様として祭などで行われてきた。チャクラをベースにした吉祥文様が、宗教宗派を超えたインドのナショナル・デザインである事はすでに指摘した通りだ。

20ルピー紙幣に描かれたコナーラクの車輪と吉祥文様

一方、パンジャブ州でシーク教徒によって伝承されているガトカという伝統武術では、マラーティという棒術の回転技と共に、チャッカル(車輪)という名でロープ製リングの回転技が普及しており、それがスダルシャン・チャクラを表している、という証言を得ている。残念なことに、リングだけで棒術の回転技に関しては証言が得られていないが、これもタミルの場合と全く同じで、棒術の発展形と考えるのが妥当だろう。

ガトカの回転技、チャッカル

東インドでは、回転技はドゥルガー女神の祭と非常に関わりが深いという。彼女によって体現されるシュリ・チャクラを回転技が象徴している可能性も否定できない。また、一般的に描かれるドゥルガーはヴィシュヌと同じようにスダルシャン・チャクラを持つことが多いため、それを象徴している可能性もある。

この回転技の起源について、私はこれまでの取材の過程を通じて常に考え続けて来た。アーリア人に由来するチャクラ意識を象徴するならば、それは当然アーリア人に由来すると言うのが私の仮説だった。そこに最近、新たな発見があった。

私自身もインド武術を紹介しているユーチューブという動画サイトがあり、そこでは世界中の伝統武術がアップされているのだが、そこでイランとグルジア、そしてハンガリーの伝統武術、さらにロシアの特殊部隊で採用されている格闘術の起源であるコサック人の伝統武術の中に、インド棒術の回転技に酷似したテクニックの一端が存在していたのだ。さらに彼らの刀法もまた、カラリの刀法と瓜二つだった。

コサック文化とグルジアやハンガリーの文化、そしてイラン文化と、遥か遠く離れたケララの文化において、なぜ刀の操法と棒術の回転技が共有されているのか。共通項は『アーリア人』以外私には考えられない。回転技はスポーク式車輪を創造したアーリア人の『チャクラ意識』を源として生まれたと考えるのがやはり妥当だろう。

それが彼らの東征によってインドへともたらされ、インドラの時代からブッダの時代を経てヴィシュヌ・クリシュナ、シヴァ・シャクティのヒンドゥ思想に至るまで、一貫してチャクラの神威を表わし続けた。それが一番自然で蓋然性の高いシナリオだと私は思う。

4000年以上に渡ってチャクラの民であり続けたインドの人々。神聖チャクラ帝国と言ってもいいほどにチャクラを愛し続け、奉じ続けたインドだからこそ発展し継承され続けたのが、棒術の回転技だったのだ。

だがこの回転技、実はインド全土で共通する名前がない。各州が各地方語で主に棒の回転を意味する名前で呼んでいる上、それが国民的エクササイズであるという認識すら、彼らの中には存在しないのだ。

そこで私は、『神聖チャクラ帝国』の国技としての回転技に、その由来に相応しい新しい名前をつけたいと思う。

その名は英語で『バーラティア・スティック・アート(Bharatia Stick Art)』という。

日本では略して『バーラティア』と呼ぶ事にしよう。

あまり知られていない事だが、わが国の名称が自称であるニッポンと外国人によって名付けられた他称であるジャパンの二つあるように、インドにも公式に二つの国名が存在する。

ひとつが外国人によって呼ばれた英語のインディア(インド)であり、もうひとつがインド人自身による命名で、国民的叙事詩マハバーラタに由来する『バーラト』という名前だ。

バーラタ族の大戦争においてアーリア人のアルジュナと先住民のクリシュナが協力してアダルマに立ち向う姿は、アーリア人とドラヴィダ人が融合しつつダルマの国インドを作り上げていった歴史を見事に象徴している。このエピソードを精神的文化的なアイデンティティとして、インドの人々は誇りを持って自らの国をバーラトと呼んでいるのだ。

『バーラティア』は、このバーラトに「その土地、地域の」を表す「イア」を組み合わせた私の造語だ。数千年に及ぶインド・チャクラ思想の歴史を、その伴走者として常に目撃し、体現し続けたエクササイズに捧げるものとして、これほど相応しい名前はないと、私は思う。

そしてサブ・タイトルは『ダルマ・チャクラ・ドライブ』と名づけた。

これは文字通り、インド共和国の象徴である法輪の転回を意味する。それは同時に、クリシュナによって、ブッダによって、アショカ王によって、ガンディ翁によって、アンベードカル師によって、長いインドの歴史を通じて一貫して転回(ドライブ)され続けた、決して止まる事のないダルマ(真理、正義)の運動を象徴している。

インドの言葉では『ダルマ』は様々な意味を担ってきた。『世界を支え、保つもの』という原義から派生して、それは神の摂理であり、世界の法であり、人の世の正義であり、人としてこの世界のために為すべき本務(義務)を意味する言葉となった。それら全てを包含する『ダルマ』が衰退した時、世界の秩序は乱れ、人々の心は計り知れない苦悩に落ちるという。

そして考えてみれば、私達が生きるこの現代ほど、『ダルマ』が危機に瀕した時代はないかも知れない。

神話によれば、ダルマが衰退し悪がはびこる時、ヴィシュヌ神がアヴァターラの姿をとって光臨し、スダルシャン・チャクラをもって悪を滅ぼし、ダルマを再興するという。だがダルマとは、果たして神から棚ボタ式に与えられるものだろうか。それは自らの努力と精進によって回復され、維持されるものではないだろうか。

それこそが、圧倒的なアダルマであるイギリスの植民地支配に対して、ダルマに徹した抵抗運動によって独立を獲得したインドが、その新たな門出に自らの象徴としてダルマ・チャクラを掲げた、真意ではなかっただろうか。

ダルマ・チャクラ・ドライブ。それは優れた武術的エクササイズだ。だが同時にそれは、単なるエクササイズの範疇を遥かに超えた思想的運動として、無限の価値と可能性を秘めている。

人が一本のダンダを握って、回転するダルマ・チャクラを空中に描き出す時、彼は数千年にわたるインド思想の深みを体現する。

それは神の偉大な力であり、天照らすスリヤであり、ブッダの覚りであり、菩薩の慈愛であり、ヴィシュヌ・クリシュナの破邪であり、アショカの回心であり、女神のシャクティであり、ナタラージャの舞踏であり、神を招来する吉祥文様であり、プルシャから展開するプラクリティであり、ガンディ翁の魂であり、ストゥーパであり、メール山であり、その全てなのだ。

バーラティア・エクササイズ

私はこのダルマ・チャクラ・ドライブを、インド共和国のナショナル・エクササイズとしてオフィシャルに再評価してもらいたいと、強く願う。

本家本元でこの棒術を継承してきた彼らの想像も及ばないスケールで、この棒術はインドの魂そのものを象徴している。それは、ここまで読んでいただいた読者の皆さんには説明の必要もないほどに明らかだろう。

そしてそれはインドにとどまらない。広く世界中の人々、なかんずく仏教徒に向けて、ブッダの法輪を象徴するエクササイズとして、私はこの棒術を推奨したい。かつてそれは転法輪の技としてインド全土に普及していたと私は信じている。しかし現在、その由来を踏まえて自覚的に棒を回している仏教徒は、まったく存在しないと言ってもいい。私には、それが残念に思えてならないのだ。

スリランカ、ビルマ、タイ、カンボジアなど東南アジアのテーラワーダ仏教国では、ブッダの法輪は国民統合の求心的シンボルになっている。私はこれらの国々に、是非ダルマ・チャクラ・ドライブを普及したいと考えている。かつてブッダの法輪を象徴していた回転技。それを是非、ブッダの時代の仏教に最も近いと言われるテーラワーダの仏教徒達によって、再興して欲しいと強く願うのだ。

特に、タイの場合は二重の意味でダルマ・チャクラと縁が深い。ひとつは勿論ブッダの法輪として。もうひとつはヴィシュヌ神のスダルシャン・チャクラとして。

カンボジアやインドネシアなどにも見られる事だが、タイではヒンドゥ教の神々も広く信仰されている。そして実は、伝統的にタイの国王はラーマ(ヴィシュヌ)の化身(もしくは子孫)でありその現世的な現れ、と考えられて来た。代々の国王の名前からして、そのものずばりラーマを名乗っている。王室御座船のへさきにヴィシュヌの乗り物ガルーダがあしらわれそれが国章ともなっているのは、その様な歴史の現われなのだ。

タイの国際空港に見られるヴィシュヌ神像

王室御座船のガルーダ。肌の黒いヴィシュヌ神は、
スダルシャン・チャクラとダンダを持つ

敬虔な仏教徒であると同時に篤く国王を敬愛してやまないタイの人々にとって、ブッダの法輪を象徴しヴィシュヌのスダルシャン・チャクラを象徴する回転技は、国民的エクササイズとして最も相応しいと言えるだろう。

もちろん、日本を含めた東アジアの大乗仏教徒にも、大いに期待している。大乗化した仏教においてブッダの法輪の存在感は相対的に低下してはいるが、それが仏法を象徴する普遍的なシンボルである事に変わりはない。むしろ彼らにとっては、ブッダの転法輪に立ち還ることによって、仏教の原点に思いを馳せる、いいきっかけにもなるだろう。


2011年10月16日日曜日

神聖チャクラ帝国

 
 一体ここまで、私はいくつのチャクラを紹介して来ただろうか。

インドラに象徴される戦場を駆け巡る武神のラタ・チャクラ。


天空を駆け巡る太陽神のスリヤ・チャクラ。


インダスのチャクラ・ヴィジョン。


ブッダのダルマ・チャクラ。


ヴィシュヌ・クリシュナ神のスダルシャン・チャクラ。


聖性とその結界を象徴する華輪、ロータス・チャクラ。


デヴィ・シャクティのシュリ・チャクラ。


そのクンダリーニ思想を象徴するヨーガ・チャクラ。


男性原理と女性原理の結合を端的に象徴する六芒星のチャクラ。


それらが応用された神々のヤントラ・チャクラ。


デヴィ・シャクティと結びついて南インドで目くるめく展開を見せた
吉祥文様のランゴーリ(コーラム)・チャクラ。


御神体のチャクラ・タルワール。


そして宇宙の至高神コスミック・ダンサー
としてのナタラージャ・チャクラ。


チベット仏教に伝わるタントラ的なマンダラ世界。


重なり合うシヴァ・リンガム、


ストゥーパ、

メール山、


そして蓮華蔵世界。



そして、これらチャクラ思想の核心とも言える、
車軸(花托)=神、あるいは仏。



 インド宗教思想の歴史とは、文字通りチャクラ思想の展開の歴史そのものだった。

 それを象徴する様に、全ての宗教によって共有される吉祥文様、あるいは結界としてのチャクラ・デザインがあった。それはジャイナ教寺院では高度に凝集された精緻を極めた天井の華輪彫刻として結実し、シーク教ではイスラムの影響を受けたモザイックなデザインとして寺院の床を飾り、キリスト教会のステンドグラスや、ムスリムの帽子にさえ取り入れられている。

ジャイナ教寺院の精緻を極めた天井彫刻

シーク教黄金寺院

ムスリムの帽子

 それはもはや、全インドの宗教意識そのものを象徴するデザインと言ってもよかった。

 そしてそれは、宗教の世界だけにとどまるものではなかったのだ。

 マトゥラーの州立博物館を訪ねた時の事だ。ここはクリシュナの生誕地であると同時にインドの仏像彫刻発祥の地としても知られているが、繊細優雅なその仏像彫刻と共に私の目を惹いたのが、シュンガ朝時代の紀元前2世紀頃に作られたテラコッタの女性像だった。彼女達はその頭や耳や胸に、明らかに車輪をかたどったアクセサリーをしていたのだ。単に宗教的なシンボルにとどまらず、チャクラは日常の服飾デザインにまで進出していた!この新しい視点によって、私がインドを見る眼は大きく転換する事となった。

テラコッタの女性像

 インドを旅する外国人男性にとって、インド人女性とコミュニケーションをとる機会は非常に限られている。インドの文化では、未婚、既婚を問わず妙齢の女性が見ず知らずの男性と話をするというのは、非常にはしたない事とされてきた。ましてやそれが外国人相手ならば尚更にハードルは高い。また、外国人が接触する機会の多い商店やレストラン、ホテルの従業員なども男性ばかりで、若い女性が社会で働いている姿は大都市や南インドの一部を除いてほとんど見られない。

 だからこれまで長くインドを旅してきた私にとっても、インドの女性と言うのは、何か決して関わる事が出来ない存在、インド世界の単なる一構成要素として背景に退いていた。彼女達が着るサリーや身につけるアクセサリーなど、興味を持って見つめた事などなかった。それはエキゾチックでカラフルな、しかしただ遠くから一瞥する、インド的風景の一部に過ぎなかったのだ。

 けれどマトゥラー博物館での経験によって、私の視点は180度変わってしまった。町を歩く時に、常に女性の服飾デザインに注意し始めたのだ。そして私は愕然とした。彼女達のデザイン・センスは、二千年以上前のシュンガ朝の時代とほとんど変わらず、プリミティヴとも言えるチャクラ・デザインを現在進行形で身につけていたのだ。

 百花繚乱のチャクラ・デザイン。それは寺院から飛び出して、街中に溢れていた!

それが最も端的に表れていたのが、女性達の日常着サリーだった。21世紀の今日でもインド成人女性のほぼ九割近くが民族衣装のサリーを日常的に着用している。掃除洗濯をする時も、田畑で野良仕事をする時も、土方仕事をする時も、オフィスでデスクワークをする時も、彼女達はサリーに身を包んでいる。日本人女性の九割が常に和服を着ている事態を想像すれば、その驚くべき数字を実感できるだろう。

そしてサリーのデザインの中で最も人気が高いのが、実はチャクラ・デザインだったのだ。それは単純な日輪や車輪から始まって、カラフルな華輪、大柄な吉祥文様など、ありとあらゆるチャクラ・デザインのオンパレードだった。サリー・ショップの店員によれば、それらは普段着としても勿論だが、特に年末年始や祭、そして結婚式の時など、『晴れ』の機会に好んで着られるという。

チャクラ・デザインのサリー

 さらに気をつけて見ていくと、チャクラ・デザインはサリーにとどまらず、女の子が着るパンジャビ・ドレスや男女の子供服、最新モードの洋服から各地の民族衣装、指輪やイヤリングなどのジュエリーに至るまで広がっていた。それは、あたかもチャクラ・デザインで全身を飾ったバラジーやラクシュミが、人の姿をとって町に繰り出したようにも見えた。

ペンダント

 それは服飾にとどまらない。巨大な広告ボードや店舗の看板、店内の装飾、民家の壁に描かれるペインティング、結婚式やイベントで使われるテントやまん幕、伝統意匠のシーツやテキスタイル、民芸品の家具や小物に至るまで、インド世界はチャクラ・デザインで満ち溢れていた。

サトウキビ・ジュース屋の幔幕

ベッド・シーツ

 一体今まで、私はインドを旅しながら何を見ていたのだろう。目から鱗とはよく言ったもので、この時の私が正にその状態だった。

 そんな私は、ふとタイの事を思い出していた。

 東南アジアの中心国家タイ王国は、敬虔な仏教国であると同時に王室を敬慕する事並々ならぬ国民性で知られている。日頃からそうなのだが、特に国王が病で臥せったりすると街中に王室を象徴する黄色いシャツが溢れて、人々の国王に対する信愛の情とその深さが示されるのだ。聖俗共にチャクラの意匠に溢れたインド世界とそこに住む人々の姿は、国王への忠誠を表して王室グッズを身につけるタイの人々の姿と、見事に重なって私の目に映った。

 その時、私は極めてリアルに感得していたのだ。
インドは、チャクラを神として崇める『神聖チャクラ帝国』だった!

 もちろんチャクラそれ自体は王でも神でもない、それはあくまでも聖性を、あるいは神威を象徴する『シンボル』に過ぎない。けれどそのシンボルは、中心にある車軸を神と見立て、車輪を世界とするイデアを伴いながら、少なく見積もっても四千年以上の歴史を通じて、常にインド世界の中心テーマであり続けた。数え切れないほどの王朝が興亡し、宗教思想が様変わりしても、それらに関わりなくチャクラは常にインドの人々の中心にあり続け、その心を魅了し続けたのだ。

 ヴィシュヌ思想にいわく、神は世界の全てに渡って浸透し遍満するという。
 それは正に、インド世界における、チャクラそのものだった。

 いち棒術家に過ぎない者がこんな事を言うのはおこがましいかも知れないが、私はインドに関わる全ての人々に、新しい『チャクラ学』を提唱したいと思う。本来チャクラ学とはヨーガのチャクラ思想を扱う限定された概念だったが、私が提唱するチャクラ学とは、ヨーガ・チャクラをも包含したインド・チャクラ意識の総体を取り扱う新しい視点だ。

ひとたびチャクラ意識というコンセプトを獲得すると、建築、美術、芸術、宗教、思想や歴史、現代的な社会現象に至るまで、インド世界の全てに渡って透徹した視点を確立することが出来るだろう。それはインドを扱う全ての学問分野において、全く新しい認識の地平を切り開いていくに違いないのだ。